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◆◆ガザ支援船急襲事件以降
<◆戦史
中近東FAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「Defense News」◆(2012/10/11)Israel Air Traffic ‘Briefly Halted Over Unidentified Object'
「VOR」◆(2012/10/07)イスラエル空軍 所属不明の無人飛行機を撃墜
「海洋戦略研究」◆(2012/10/09)イスラエル,無人機撃墜
「中東の窓」◆(2012/10/07)ドローンの撃墜
「中東の窓」◆(2012/10/08)ドローンの撃墜(イスラエル紙の解説)

「FLOT.com」◆(2010/10/01)ООН осуждает нападение Израиля на "Флотилию свободы"
国連はパレスチナ支援船団へのイスラエルの攻撃を非難

「Haaretz」◆(2010/08/31)IDF general: 'No justification for Gaza aid flotilla'

「Jerusalem Post」◆(2010/10/28)'The West has no right to tell Hamas how to govern Gaza'

「Jerusalem Post」◆(2010/12/01)Arab-Israeli indicted for terror charges, Hamas link

「Jerusalem Post」◆(2010/12/02)IDF kills 2 Islamic Jihad terrorists on Gaza border

「Novosti」◆(2010/09/05)Israeli airstrike hits Gaza

「Strategy Page」◆(2013/04/01) ISRAEL: Sucking It Up For The Turks

「The Voice of Russia」◆(2010/10/16)ガザ人道支援 欧州からモロッコに到着

「tnfuk」◆(2011/07/20)『ガザ沖の漁船にガーディアン記者が同行,洋上でイスラエル軍の放水を受ける』

「VOR」◆(2012/05/14)レバノン軍 トリポリを制圧

「VOR」◆(2012/05/15)レバノン イスラム勢力 トリポリ中央広場を制圧

「VOR」◆(2012/06/23)イスラエル軍 ガザ地区攻撃 7人被災
「VOR」◆(2012/06/23)イスラエル軍機 ガザ地区を空爆 2人死亡

「VOR」◆(2012/06/25)イスラエル ガザ地区との唯一の貨物ルートを閉鎖

「VOR」◆(2012/08/28)イスラエル軍がガザ地区空爆

「VOR」◆(2013/03/23) イスラエル トルコへ「自由旅団」事件について謝罪

「VOR」◆(2013/04/03) イスラエル空軍 ガザ地区を空爆

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/10/31)イスラエルとイラン スーダンを舞台に神経戦を展開

「スパイ&テロ」◆(2012/05/03) TBSラジオ「アラブの春」解説を聴く

「中東の窓」◆(2012/10/13)イスラエルのゴラン高原完全撤退?

「中東の窓」◆(2013/03/21) オバマのイスラエル/パレスチナ訪問

「中東の窓」◆(2013/03/22) トルコ・イスラエルの関係修復(オバマのイスラエル訪問)

●「雲の柱」作戦

「BBC」◆(2012/11/19)#Israel has failed to destroy Hamas's infrastructure in #Gaza, says leader Khaled Meshaal

「Business Insider」◆(2012/11/26)Israeli Military's Social Media Boss Says He's 'Not Racist' After 'Blackface' Photo Found.. ~

「Foreign Affairs」◆(2012/11/19)Hamas miscalculated, thinking it could get away with striking Israel

「NAVER まとめ」◆(2012/11/19)Twitterでガザ攻撃の様子を追うときに,注意が必要な1つのポイント

「SPIEGEL」◆(2012/11/15)Mit der Offensive im #Gaza-Streifen versucht Israels Premier, im Wahlkampf zu punkten. Ein riskantes Manover

「Togetter」◆(2012/11/18) 熊谷さんによる中東イスラエル情勢報告

「VOR」◆(2012/10/18)イスラエル空軍 ガザ地区を空爆

「VOR」◆(2012/11/15)ガザ地区情勢先鋭化,国連安保理が緊急会合

「VOR」◆(2012/11/15)ロシア外相,イスラエル,パレスチナに戦闘停止を呼びかけ

「VOR」◆(2012/11/16)イスラエル空軍 ガザ地区を約70回にわたり空爆

「VOR」◆(2012/11/17)イスラエル,7万5千規模の予備役動員へ

「VOR」◆(2012/11/17)イスラエル軍 ガザでの地上作戦に向けた準備完了

「VOR」◆(2012/11/17)テルアビブで大きな爆発

「VOR」◆(2012/11/18)イスラエル ガザ地区への人道支援物資供給を再開

「VOR」◆(2012/11/18)イスラエル軍 再びガザ地区を空爆

「VOR」◆(2012/11/18)ハマス イスラエルへのミサイル攻撃を再開

「VOR」◆(2012/11/18)パレスチナ イスラエルとの早期休戦合意を望む

「VOR」◆(2012/11/18)パレスチナ駐露大使,イスラエルとの紛争解決に外交手段を望む

「VOR」◆(2012/11/18)ロシア・トゥデイ支局 イスラエルの攻撃により破壊

「VOR」◆(2012/11/19)イスラエル政府 ハマスに対して停戦期限36時間

「VOR」◆(2012/11/20)イスラエル ガザ地区への空爆を再開

「VOR」◆(2012/11/20)イスラエル ガザ地区への地上作戦開始をさらに1日延期

「VOR」◆(2012/11/20)クリントン米国務長官,21日イスラエル政権と会談

「VOR」◆(2012/11/20)テルアビブ 米国大使館警備員が負傷

「VOR」◆(2012/11/20)ロシア 国連安保理にガザ地区に関する決議案提出

「VOR」◆(2012/11/21)イスラエル テルアビブでバス爆破

「VOR」◆(2012/11/21)イスラエル空軍 ガザ地区のAFP支局の建物を空爆

「VOR」◆(2012/11/21)イスラエルとの停戦問題決定 水曜日に持越し

「VOR」◆(2012/11/21)イスラエル再びガザ地区を攻撃

「VOR」◆(2012/11/25)イラン ガザ地区への軍事援助を認める

「VOR」◆(2012/11/25)ロシア黒海艦隊 ガザ地区からロシア人を避難させる準備あり

「VOR」◆(2012/11/26)イラン ガザ地区にロケット弾を送る準備

「VOR」◆(2012/11/26)ガザ地区,「雲の柱」作戦の決算
> AFP通信が伝えた所では,イスラエルがガザ地区で行った「雲の柱」作戦による損失は120万ドルに上る.
> ハマス側の発表によると,イスラエルの空爆による直接被害の見積もりは,総額で5億4500万ドルで,間接的な損失の見積もりは7億ドル.
> また空爆により住宅200棟と,ハマスの行政府本部を含む,それ以外の建造物42棟が全壊し,約8,000棟が損壊.
> パレスチナの医療機関によると,空爆により43人の児童を含む166人が死亡,1,235人が負傷.
> イスラエル側では,民間人4人と軍人2人が死亡し,240人が負傷している.

「Ynet News」◆(2012/11/11)IDF fires at Syria for first time since 1973
イスラエル,ついにキレる

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/11/16)パレスチナ・ガザ地区とイスラエル ロケット弾攻撃と空爆の応酬

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/11/19)パレスチナ・ガザ地区  調停難航,依然消えない地上侵攻の可能性 双方とも強気の姿勢を変えず

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/11/22)パレスチナ・ガザ地区を巡るイスラエル・ハマスの停戦合意,その背景・思惑と危うさ

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/18) トルコ・イスラエル  「ガザ支援船拿捕事件」で交渉,難航の可能性も ICCが捜査要請受理

「中東の窓」◆(2012/10/16)ガザからの携帯式対空ミサイルの発射?

「中東の窓」◆(2012/10/24)ガザ情勢

「中東の窓」◆(2012/10/25)イスラエル・ガザ関係

「中東の窓」◆(2012/10/28)ガザ情勢(停戦の破綻)

「中東の窓」◆(2012/11/14)ガザ緊張の激化

「中東の窓」◆(2012/11/15ガザ情勢 2

「中東の窓」◆(2012/11/15ガザ情勢 3

「中東の窓」◆(2012/11/16)ガザ情勢(15日)

「中東の窓」◆(2012/11/16)ガザ情勢(IDFの地上戦準備)

「中東の窓」◆(2012/11/17)ガザ情勢(16日)

「中東の窓」◆(2012/11/18)gaza情勢(17日)

「中東の窓」◆(2012/11/19)ガザ情勢(18日)

「中東の窓」◆(2012/11/20)gaza情勢(19日〜)

「中東の窓」◆(2012/11/21)ガザ情勢

「中東の窓」◆(2012/11/21)gaza情勢(20〜21日)

「中東の窓」◆(2012/11/21)ガザ情勢(21日)

「中東の窓」◆(2012/11/22)ガザ情勢(21日)

「中東の窓」◆(2012/11/23)ガザ情勢(イラン,シリアとの関係)

「中東の窓」◆(2012/11/22)ガザ情勢(情報戦争)

「中東の窓」◆(2012/11/22)ガザ停戦

「中東の窓」◆(2012/11/24)ガザ情勢(ロシア艦隊の派遣)

「中東の窓」◆(2012/11/26)ガザに対するイスラエル攻撃の損害額

「ワールド&インテリジェンス」◆(2012/11/21) イスラエルVSハマス


 【質問】
 ガザ支援船急襲事件って何?

 【回答】
 2010.5.31,イスラエル軍が,パレスチナ自治区ガザへの支援物資約1万トンを積んだパレスチナ支援団体の船団を,地中海で拿捕した事件.
 イスラエル軍によると,拿捕の際の衝突で少なくとも支援者15人が死亡,31人が負傷したという.
 地元メディアなどによると19人死亡,数十人が負傷したとする情報もある.

 ロイター通信によると,支援船団は非政府組織(NGO)の「フリー・ガザ・ムーブメント」やトルコの人権団体などが組織.
 AP通信によると,この団体がガザへの航行を試みたのは2008年8月以降,9回目.
 このうち5回成功している.
 船団は6隻とみられ,トルコや欧州のパレスチナ支援者約600〜700人が乗船.
 乗船者は50カ国から集まり,欧州の政治家も乗船していた.
 30日午後,集合地点のキプロス沖からガザに向かった.
 これまでで最大規模の船団で,イスラエル政府は事前に,活動家らの行動を「ばかげた政治行為」と非難し,ガザへの寄港を認めないと警告を発していた.

 軍によると,衝突が起きたのはこのうちの1隻で,トルコの船という.
 イスラエル軍によると,停止命令を無視した船団各船に対し,海軍特殊部隊15人が同日午前4時ごろ,3機のヘリコプターから降下し,急襲.
 特殊部隊が乗り込んだ際,1隻で船内から発砲を受け,銃撃戦になったとイスラエル軍は説明.
 また,拿捕の際,活動家が先にナイフや鉄の棒で攻撃してきたと主張して,正当防衛を強調している.
 さらにリーバーマン・イスラエル外相は3日,船団は多額の現金を運んでいたことが分かったと述べ,人道目的とされる活動に疑念を示している.

 軍は船を,イスラエル中部アシュドッド港に移送している.

 とりあえず,イスラエルは最低限でも国際調査を受け入れるべきだろう.
 でなければ,それらの主張には説得力がない.

 なお,支援船乗船者の半数がトルコ人とみられ,拿補行為に反発したトルコが駐イスラエル大使を召還するなど,両国の緊張が高まっている.
 中近東で唯一のイスラエル寄りだったトルコとの関係悪化は,イスラエルにとっては外交的打撃であろうと愚考する次第.

 【参考ページ】
2010年5月31日15時45分,時事通信
2010年5月31日22時8分,読売新聞(エルサレム=加藤賢治)
2010年6月4日12時12分,CNN
「日本語で読む中東メディア」◆(2010/06/03)自由船団に乗船していたイスラエル国会のアラブ系議員,ガザ封鎖の解除を訴え (al-Quds al-Arabi紙)
「日本語で読む中東メディア」◆(2010/06/08)イラン,人道支援船三隻をガザに派遣へ (Jam-e Jam紙)
「日本語で読む中東メディア」◆(2010/06/10)イスラエルのアラブ系議員たちに強まる逆風,自由船団に乗船していたズアビー議員は議員特権を一部剥奪 (al-Quds al-Arabi紙)

編者

▼ イスラム原理主義過激派でイラン系勢力の「ハマス」が支配する,イスラエルとエジプトの間にある「ガザ地区」に対しイスラエルは,「人道支援物資以外の資材搬入禁止」と「人の出入り規制」を柱とする境界封鎖を地上,海上で実施しています.

 2008年ごろまでは海上からの支援船団による支援が行われ,イスラエル側も事実上黙認していましたが,ハマスのロケット砲攻撃阻止のために,イスラエルが2008年12月から2009年1月にかけて行った「ガザ大規模攻勢」以降は,ハマスへの武器流入阻止のため,支援船のガザ入りもすべて阻止するようになっています.

 ただハマスは,エジプトに通じる地下トンネルを通じて,食料等の物資を密輸入しています.
 イスラエルは今年4月に封鎖を緩和していますが,ハマスの武装強化につながるとして,建材の搬入は認めていないという現状です.

 2010.5.31,ガザに向かっていた親パレスチナ勢力(平和活動家を隠れ蓑にしたテロ組織構成員とされる)が指揮する支援船団(6隻で編成.欧州諸国の活動家,政治家など600名以上が乗船.セメント,木材,医療機器等1万トンに及ぶ物資を搭載していた)に対し,イスラエルが軍部隊を通じて公海上の地中海で拿捕作戦を敢行.この過程で銃撃戦が発生し,結果,支援船団側に九名の死者が出ました.

 2010.5.31,ホワイトハウスは「深い遺憾の意」を表明,EUも「事件の徹底調査」を求めています.
 また,死者のほぼすべてがトルコ人であったことから,トルコは駐イスラエル大使の召還を決定.国連安保理に対し緊急会合開催を要請しました.

 同日開催された安保理では,イスラエルを非難する決議が全会一致で採択され,「支援船と乗員の即時解放」,事務総長に対し「公正で信頼性と透明性のある調査」を要請しています.
 イスラエルは,
「紛れもない自衛行為に対し非難された」
と,国連安保理への強い不満を表明しました.
 エジプトもガザ封鎖を行っていますが,2010.6.1にガザ境界のラファ検問所を開放し,人道・医療物資等の搬入を認めました.

 イスラエル軍はヘリ降下作戦を通じて,6隻すべての拿捕に成功してます.
 その過程で支援船団側からの発砲を受けたようです.
 拿捕した船をイスラエルは,同国中部の港「アシュドッド港」に曳航.
 乗員の事情聴取を実施し,2010.6.2までに強制退去を実施しています.
 乗船者のの大半はトルコ人だったようです.

 国連はイスラエルのガザ封鎖に対し,
「ガザ住民の健康を危険に曝している」
と封鎖早期解除を求めていますが,イスラエルは
「必要な人道支援物資の搬入は行われており,ガザに人道危機はない.
 この支援船団の目的は人道支援ではなく,封鎖解除に向けた政治的挑発行為,プロパガンダである」
としています.

 アラブ連盟は2010.6.2に緊急会合を行っていますが,シリアをはじめとする対イスラエル強硬派が,
「パレスチナとイスラエルの和平交渉中断.事件に関与したイスラエル兵等の処罰.ガザ地区封鎖解除」
を強硬に主張しているそうで,穏健派がそれに異論を示しているとのことです.

⇒ トルコのエルドアン首相は2010.6.1,
「今日が歴史の転換点だ」
と述べ,イスラエルの関係を見直す可能性を示唆しています.

※ 異論あり

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)6月7日(月)

 ガザ支援船団は,ギリシャやトルコの5つの人権団体でイスラエルのガザ封鎖に抗議しており,過去にもガザに支援物資を載せた船舶を派遣して,こちらは成功しています.
 今回は6隻という大規模船団であり,500人の支援者も乗船していたという事で,イスラエル軍も動き出したようです.
 そして公海上で停戦命令を拒否したので,海軍特殊部隊が出動して拿捕に踏み切りました.

 〔略〕
トルコや欧州では,イスラエルへの抗議デモが発生した他,トルコ外相も両国の関係を悪化させるというイスラエル批判までしています.

 今回ガザ支援船団を襲撃したのは,イスラエル海軍特殊部隊の「コマンド・ヤミ」ではなかったかと思われます.
Pyramid: Special Ops Weapons of Today

 コマンド・ヤミの任務は,アメリカ海軍特殊部隊SEALや海自特別警備隊とほぼ同じと思われます.
 その実態はイスラエルの保安上,なかなか知られていませんが,とりあえず知られている限りのソースを出して置きます.
 人員の教育や選抜も不明であるものの,おそらく水中処分部隊の中から選抜されていると思われ,また訓練も陸軍特殊部隊のサイアレット・マドカルとほぼ同じと思われます.

 気になるのはトルコの人権団体のメンバーが銃を所持し,銃撃戦になったという事実です.
 この人権団体には本当に人権団体なのでしょうか?
 ちょっと気になるところではあります.

バルセロニスタの一人 in mixi,2010年06月01日12:16


Guardianより引用


 【質問】
 ガザ支援船急襲は,国際法上はどのように解釈されるだろうか?

 【回答】
 イスラエル側は,
「ハマスとの交戦が続いており,ガザ地区のハマス支援につながる可能性のある輸送物資を検査するための海上封鎖は,戦時国際法の戦争行為として認められる」
と主張.
 他方,英ダンディー大のロビン・チャーチル教授によれば,イスラエルがハマスと交戦状態にあるとはいえないため,イスラエルによる海上封鎖自体が国際法に違反しているという.
 事件が起きたのは公海上であるため,自由使用の原則があり,船舶の航行は自由.

 ただし国際法学者の間では,イスラエルとハマスが交戦状態にあるかどうかをめぐって意見が二分しているという.

 【参考ページ】
2010年6月3日23時14分,産経新聞(ロンドン=木村正人)

▼ 個の事件に対し,国連は複数の調査団を派遣したが,人権委員会の調査に対しては,イスラエルは協力を拒否した.

 以下,その経緯.

――――――
2010年7月8日(木),国連本部と国連人権委員会がガザ行き船団事件の調査をめぐり反目.
 それぞれ自らが主導する独自の調査団を送ることを考えているが,いずれも調査団の団長もメンバーも決まっていない.(H,P)

2010年8月3日(火),ガザ行き船団事件の国連調査に協力する方針をイスラエル政府が表明.
 藩基文国連事務総長は,調査委の設立が「前例のない展開」と称賛.
 しかしカディマは,政府の対応は弱腰だと批判した.(Y,H,P)

2010年8月8日(日),国連によるガザ行き船団事件調査団に,イスラエル代表として元外務省長官のチエハノベル氏.首相,国防相,外相らが人選した.
 チエハノベル氏は国防省の法律顧問を担当した経歴を持つ.(Y,P)

2010年8月10日(火),兵士を直接取り調べるならガザ行き船団事件調査団への参加を取りやめるとネタニヤフ首相.
 兵士への調査はIDFが行うのが調査団参加の前提だと主張したが,事務総長は直接の取り調べを要求.(Y,H,P)

2010年8月11日(水),国連によるガザ行き船団事件の調査が開始.
 イスラエルが兵士の尋問に強く反対しているため,潘基文国連事務総長は
「委員会の目的は犯罪責任の追及ではなく,事件の再発防止」
と説明した.(Y,H,P)

2010年9月23日(木),国連人権委員会の調査団が,5月のガザ行き船団急襲事件でイスラエルは国際法に違反していたと発表.
 国連人権委員会は偏向しているとして,イスラエルは初めから調査に協力していない.(Y,H,P)

2010年9月24日(金),国連人権委員会のガザ行き船団急襲事件報告書を「偏向したもの」とネタニヤフ首相が非難.
 反イスラエルの調査団が作成したものだと語った.
 アヤロン副外相は報告書を「真っ赤な嘘」だと断定.(Y,H,P)

2010年9月29日(水),イスラエルはガザ行き船団急襲事件の後,数十人の記者から押収した,映像などの証拠を隠蔽していると,国連指定の調査委員会が主張.
 政府はこの主張を否定.
 偏向した見解だと非難した.(Y,H,P)

2010年9月30日(木),ガザ行き船団急襲事件で,イスラエルが国際法を破り,信じ難い暴力を行ったとする報告書が,国連人権委員会で承認された.(Y,P)
――――――


 【質問】
 ガザ支援船団急襲事件は,どのような影響を与えると予想されるか?

 【回答】
 ブログ「国際情報センター」によれば,以下のように予想されている.

第1:今回の事件は,トルコ・イスラエル関係を決定的に悪くすることになるだろう.
 トルコ国内でイスラエルとの協力を推進してきたのは,軍と世俗主義者であるが,圧倒的な反イスラエル世論を前に,軍や世俗主義者の政治的な力は打撃を受け,トルコ国内政治でイスラム色の強い勢力が強くなるとの,これまでの変化が加速されるであろう.

第2:ガザ封鎖の一翼をガザ・エジプト国境封鎖で担ってきたエジプトへも,現在の対応を変えるべしとの圧力が高まるのは確実だろう.

第3:イスラエル国内でも,ネタニヤフ政権を場合によっては揺るがすことになるだろう.

第4:米が仲介しているイスラエル・パレスチナ間接交渉にも,今回の事件は影を落とすだろう.

4, この拙劣なイスラエル軍の作戦は,イスラエルを国際的に孤立させ,ガザ封鎖の妥当性に疑問を引き起こすことになるだろう.

 なお,2010.6.2にはエジプトのムバラク大統領が,自国側のガザ封鎖を一時的に解除した.

▼ 実際,その後の状況を見ると,確実にトルコ・イスラエルの関係は悪化している.

 2010年6月20日(日),トルコのエルドアン首相がイスラエル政府を「海賊」などと非難.
 イスラエル国民ではなく,政府が問題だと語った.
 イスラエル政府高官は,トルコ人ではなく首相が問題だと応酬した.(Y,H,P)

 2010年6月23日(水),ガザ地区の封鎖をイスラエルが緩和したことに対し,「前向きだが不十分だ」とトルコ外相.
 封鎖の完全解除を求めた.(Y,P)

 2010年6月30日(水),ガザ行き船団事件に関し,トルコのNGO団体が,イスラエルの船団急襲は計画的な「テロ行為」だったとする報告書を発表.(H)

 2010年7月1日(木),ベンエリエゼル工業相が関係改善のためトルコの外相と秘密会談.
 リーバーマン外相には知らされなかったため,首相と外相の関係がさらに悪化.
 連絡が無かったのは「技術的な問題」と首相側.(Y,P)

▼ 2010年7月6日(火),ガザ行き船団急襲事件に関する謝罪と補償を要求しているトルコ政府に対して「謝罪も補償もしない」とリーバーマン外相が回答.(P,H)

 2010年7月7日(水),トルコのギュル大統領は,
「イスラエルは理性的に振る舞う能力がない」
「中東でのイスラエルの友好国は僅かなのに,トルコとの断交を求めている」
と語った.(Y,H,P)

 同日の報道(P)によれば,ガザ行き船団事件の影響を受け,多数のイスラエル人がトルコへの渡航をキャンセル.
 トルコは4億ドル(約400億円)の損失を蒙ったという.
(ただし2010年7月30日(金)の報道(H)によれば,5月のガザ行き船団事件でトルコとの関係が悪化した後も,トルコ向け輸出は落ち込んでいないことが,民間の調査で判明している)

 2010年9月24日(金),国連総会でトルコのギュル大統領が,急襲事件の報告書に満足し,イスラエルからの公式謝罪と犠牲者への賠償を要求すると発言.
 和平交渉について「中東和平が世界平和の鍵だ」と語った.(Y,H,P)

 2010年12月8日(水),イスラエルへのガザ行き船団急襲事件の賠償を要求するトルコに対し,リーバーマン外相が「トルコが賠償すべきだ」と発言.
 テロ組織IHHが船団に関与しており,謝罪はテロへの屈服だと語った.(Y,H)

 2010年12月9日(木),ガザ行き船団襲撃事件に関して,ジュネーブでトルコ外相とイスラエル高官が会談.
 トルコによるIDF兵士の告訴が取り下げられた.
 イスラエルから謝罪という言葉は無かったとトルコ報道機関.(P)

 2010年12月10日(金),船団急襲事件をめぐるイスラエルとトルコの和解交渉は,謝罪のニュアンスが焦点に.
「謝罪に相当する別の単語を辞書で見つけさえすれば,交渉は決着するだろう」
と語る交渉関係者も.(Y,P)

 なお,2010年7月4日(日)付けの報道(Y,H)によれば,ガザ行き船団事件の国際的調査を求めるトルコに,米オバマ大統領が「調査は諸刃の剣」と警告していたもよう.
 船団の過激派が,いきなりIDF兵士を襲撃するなど船団にも問題があるため.

▼ 封鎖についても緩和傾向が見られる.

 2010年6月17日(木),国連人権委員会は,イスラエルがこれまでに西岸地区の20%の検問所を取り除いたと発表.
 しかし,まだ不十分だと報告した.(Y)

 2010年6月18日(金),イスラエル政府はガザの陸上での封鎖緩和を発表したが,海上封鎖は続ける構え.
 広報官は,封鎖緩和は以前からの既定方針だと説明した.(P,H,Y)

 2010年6月18日(金),ガザ封鎖の緩和措置に国連など国際社会から歓迎の声.
 しかし,自治政府とハマスは,全検問所の完全開放を要求した.(P,Y)▲

 2010年6月21日(月),ガザの封鎖緩和策を昨日の閣議で承認.
 持ち込み可能品目は増加するが,軍事転用可能な資材は引き続き制限する.
 米国は評価したが,ハマスは「単なる宣伝」と非難し,完全開放を要求.(P,H,Y)

 2010年6月22日(火),封鎖が緩和されたガザでは,商店に並ぶ品物には変化が無いものの,物価が急落.
 製造業や密輸トンネル業界には大きな打撃か.(Y)

 2010年6月25日(金),イスラエルはガザへ運ぶ物資の量を倍増へ.
 これで物資の量は,ほぼ封鎖前の水準に戻る.
 国連もこの動きを歓迎した.(P)

 2010年7月2日(金),ガザではイスラエルから大量の物資が流れ込み,日用品の市場価格が下落.
 物資余剰で商店は仕入れを控えている.
 しかし,軍事転用が可能な建設資材の搬入は,監視体制の問題で遅れている.(H,Y)

▼ ちなみに,2010年7月4日(日)には,ハマスとヒズボラが非暴力的な路線に変更しつつあるとの報道.
「武力を用いた時,国際社会はイスラエルを支持した.
 しかしガザ行き船団は,1万発のロケットより有効だった」
とハマス高官は語っており(Y),そういう面では皮肉な結果をもたらすかもしれない.▲

 【参考ページ】
「イスラエル・ニュース」

トルコでの抗議デモ

Guradianより引用


 【質問】
 ガザ支援船団急襲事件を巡る,イスラエル・パレスチナ双方のプロパガンダ合戦状況は?

 【回答】
 船団側では,乗船していたノーベル平和賞受賞者マイレッド・マグワイアなどのメッセージを紹介し,ガザ封鎖を糾弾し続けている.
 以下,その抄訳.
「イスラエルはパレスチナの人々に対して,ゆっくりと進むジェノサイドを行っています.
 それは集団懲罰であり,南アフリカのときのものよりひどいアパルトヘイト政策の実行です.
 ですから私たちは人道的支援をするというささやかな,そして象徴的な形でガザの3年におよぶ封鎖を破ろうとしました.
 残念ながら,公海上で(兵士に)違法にも乗りつけられ,銃をつきつけられてイスラエルに連れていかれるという形でなしとげることはできませんでした.
 しかし,ガザの人たちに私たちは戻ってくると言います.
 封鎖が解かれ,パレスチナの占領が終わり,自決権が確立されるまで,私たちは黙ることなく働き続けます」

 南アフリカでは,同国物流労働者連合組合(the South African Transport and Allied Worker Union:SATAWU)が,イスラエル製品ボイコット運動を呼びかけている.
 同様の運動は,他の国々でも見られる.
(パレスチナ情報センター,2010/06/09)

 ガザ封鎖について,アパルトヘイトを連想させようとするイメージ戦略が,このところの特徴である模様.

 対するイスラエル側は,船団乗員やその支援者が,単なる人道主義者ではなく,ジハーディストであるかのようにイメージさせようとしている(MEMRI,2010/6/3)模様だが,大して成功していない.
 というか,無理がある.

 また,様々な証言や発表で,船団に対するネガティブ・キャンペーンを試みている模様.

・2010年6月2日(水),ガザ行きの船団へ降り立ち,腹部を刺された国防軍隊長が「ナイフと金属棒を持ち,殺そうと迫ってきたので発砲した」と証言.(ハアレツ紙)

・2010年6月6日(日),先週のガザ行き船団が,海軍の呼び掛けに「黙れ,アウシュビッツに帰れ」と応答する音声を国防軍が公開.
 「我々はアラブの反米主義者だ.9・11のテロを忘れるな」と脅す言葉も.(エルサレム・ポスト紙)

・2010年6月7日(月),ガザ行き船団に乗船していた活動家中,少なくとも5人がテロ組織とつながりがあったと国防軍が発表.
 うち一人はガザに行き,ハマスのために特殊部隊の訓練を行う予定だった.(エルサレム・ポスト紙,ハアレツ紙他)

(以上,「イスラエル・ニュース」より)

――――――
「MEMRI」◆(2010/06/28)ガザ(支援)船団に参加したイスラム主義者のジハード発言

 以下は,ガザ船団の参加者に関するアラブ報道機関のさらなるレポートと,参加者とその知人の発言の抜粋である.

 〔略〕

ハマースのウエブサイトのレポート:アブドッラー・アッザーム(’Abdallah ‘Azzam)の義理の息子と孫が船団に参加

 ハマース付属のウエブサイトwww.albian.ps のレポートだと,船団参加者の中には(世界的なジハード活動家で,1989年パキスタンで殺害された)アブドッラー・アッザーム ※1の19歳の孫ムハンマド(Muhammad)と,その父親アブドッラー・アナス(’Abdallah Anas)(アブドッラー・アッザームの娘スマイヤSumayyaの夫)がいた.スマイヤは父親アッザームの死後パキスタンを離れ,英国に移住した.
 彼女は,夫と息子が船団でどうなったか分からない前に,船団のオーガナイザーに17歳の別の息子アフマド(Ahmad)を,次の船団のメンバーに含めるように要請している.
 彼女はこう語った.
「もし(私の息子)ムハンマドが(戦場で)殉教したならば,(私は)アッラーを賞賛する.
 もし,彼が負傷したならば,(私は)アッラーを賞賛する.
 そして,もし,彼と彼の父親が生存して元気でいるなら,(私は)アッラーを賞賛する」
と.
 また,スマイヤは
「アッラーのための殉教者として,彼女自身と彼女の5人の息子,アフマド,サラーム(11),ウマル(10),アッザーム(1)を犠牲にすること」
を望んでいる.
 彼女の説明だと,彼女の父親(アブドッラー・アッザーム)は彼女と姉妹たちに
「子供たちを,彼らがイスラムと(パレスチナの)大義に奉仕するよう,イスラムの信仰に照らして,信念を貫く(という原則の上で),(また,爆撃)機の音の上で,育てる」
よう教示したという.※2

船団参加者:トルコ人が3人の(イスラエル)兵士を捕らえた.われわれは(船団の)拿捕は阻止すると前もって申し合わせた

 船団参加者はこう報告した.
 トルコ人活動家たちは,乗り込んできた(イスラエルの)兵士の幾人かを攻撃し,捕虜にしようとした.
 トルコ人代表団の団長ビュレント・ユルドルム(Bulent Yildilm)は,
「トルコ人はシオニストの兵士たちを激しく殴打した後,その幾人かを捕まえた」※3
と語った.
 類似の発言は,トルコの日刊紙ヒュリエット(Hurriyet)にも現われた.

 クウェート人代表団のメンバーもまた,トルコ人が兵士たちを攻撃したと語った.
 サラーフ・ジャーラッラー(Salah Jarallah)はこう語った.
「(トルコ人は)突撃隊の兵士3人を棒で激しく殴打した.
 これに対してイスラエル軍は多数の兵士を送り込んできた.
 彼らはトルコ人を(実弾)乱射し,彼らを殺害した」※4
 同様に,船団の参加者シナン・アフマド(Sinan Al-Ahmad)はクウェートに戻ると,
「攻撃の最初,トルコ人はイスラエル兵士3人を攻撃し,彼らを殴打した」
と語った.※5

 乗船していたクウェート国会議員ワリード・タバタバイー(Walid Al-Tabatabai)は,同国のアル・ラーイ・テレビ (Al-Rai TV)に
「活動家と軍隊との間で激しい衝突があった.
 われわれの友人はイスラエル兵士3人を捕まえることができた.
 1人のトルコ人は,1人の兵士をひっつかみ,われわれのところに連れてきて,こう言った.
『ここに新しい(ギルアド)シャリットがいる』と」
(訳注:シャリットは2006年イスラム過激派に拉致されたイスラエル軍兵士).
 タバタバイーは
「トルコ人は武器を持っていなかったが,船で見つけたパイプと棒を使った」
と指摘した.
 「(活動家たちは)兵士たちの到着前に準備していた」のか?,という質問に,タバタバイーはこう答えた.
「われわれは,彼らに船を制圧させないと申し合わせた・・・
 われわれは,やって来るイスラエル兵士は寄せ付けないと申し合わせた.
 われわれの申し合わせは,(船団の)拿捕を妨害することだった」
と.

 タバタバイーはまた,こう報告した.
 (イスラエル・アラブ人のイスラム宣教組織)「イスラエル・イスラム運動(Islamic Movement in Israel)」北部支部のヘッド,ラーイド・サラーフ師(Sheikh Raed Salah)は,
「(この船団の船)旅のスターで,(参加者を)鼓舞する演説を行った」
と.

 タバタバイーは,別なガザ船団に参加するのかどうか尋ねられると,
「もし,参加しなければならないなら,躊躇しない.彼らが私に尋ねた時,私は原則的に同意した」
と語った.※6

 トルコ人の船団参加者マーヒル・タン(Mahilr Tan)は,捕まったイスラエル兵士の写真を撮った.
 これらの写真は,トルコ日刊紙ヒュリエットの2010年5月6日付で公表された.
 また,タンは同紙のインタビューで,彼らの逮捕の模様を語った.

殺害されたトルコ人活動家の友人と親族:彼らは,殉教者になることを望んだ

 殺害されたトルコ人活動家の友人と親族が,トルコの報道機関のインタビューに語ったところだと,殺害された活動家たちは殉教者になりたいと語っていた.
 活動家イブラヒム・ブルゲン(Ibrahim Bilgen)の息子ユスフ・ブルゲン(Yusuf Bilgen)は,父親は常にシャヒード(殉教者)になることを望んでいたと述べ,父親が殉教者になったことを誇りに思うと語った.※7
 アリ・ハイダル・ベンギ(Ali Haydar Bengi)の妻はトルコ紙ヴァタン(Vatan)に対し,夫はいつも殉教を与えてくださるようアッラーに懇願していたと語った.※8
 ベンギの友人サビール・ジェイラン(Sabir Ceylan)は日刊紙ミリエト(Milliyet)に対し,
「この旅に出かける前,彼は殉教者になりたいとわれわれに語っていた.殉教者として死ぬことをひどく望んでいた」
と語った.※9

 イスケンデルン市の「人権・自由・人道財団(IHH)」のヘッド,アリー・エクバル・ヤラトルムス(Ali Ekbar Yaratilmis)の友人メフメット・ファルーク・ジェブヘル(Mehmet Faruk Cevher)は同様に,サバーハ紙に対し,ヤラトルムスは
「いつも殉教者になることを望んでいた」
と語った.※10

 ヨルダンのムスリム同胞団の元総ガイド,サーレム・ファラハト(Salem Al-Falahat)は(ヨルダンの)アカバで開いた連帯集会で,こう語った.
 トルコ人代表団のヘッド,ビュレント・ユルドルムが船上の自国人に対し,
「微笑みなさい.あなた方の中で死ぬ人はシャヒードになる」
と語っていた.
 ユルドルムはまた,
「われわれは,バドルとウフドの(戦いで戦った)人たち※11 のように(行動する)か,はたまた(屈辱の降伏条件を受け入れた)フダイビイヤの人たち※12 のように(行動する)か」※13
とも語っていた,と.

ヨルダン人代表団のメンバーたち:われわれは経かたびらに包まれて戻ることを希望した

 ヨルダン人代表団のヘッド,ワーイル・サカ(Wael Al-Saka)はアンマンで催した同代表団のレセプションで,こう語った.
「われわれは,命を差し出したトルコ人の兄弟たちのように,経かたびらを着てあなた方のところに戻ることを望んでいた」
と語った.
 また,死亡したトルコ人たちを「最も高貴なジハードとレジスタンスの形態を示したトルコのシャヒードたち」と表現した.※14

 ヨルダン人代表団メンバー,ラーイド・ブスタンジ(Raed Al-Bustanji)はこう語った.
「トルコ人は,われわれを危険な場所から遠ざけた.
 彼らはリーダーシップを取り,最もシンプルな道具を使って,シオニストの兵士たちに対する抵抗(の先頭)に立った・・・
 われわれは経かたびに包まれて戻ることを望み,アッラーのために命を捧げることを望んだ」
と.
 彼はユダヤ人のことを「蛇の兄弟,猿と豚の子孫」と呼んだ.※15

クウェート人代表団のメンバーたち:われわれは遺書を書いた

 クウェート人代表団のメンバーたちは,国会議員タバタバイー※16 を含め,船団に参加して出発する前に遺書を書いたと語った.
 代表団11人はアル・ラーイ・テレビのインタビューを受けたが,そのひとりサラーフ・ジャーラッラーはこう言った.
「(出発する前)私は口頭で遺書を残し,うち(主要な)ポイントを文字にした.
 代表団メンバー全てが,出発する前,遺書を残すことが必要だという点で意見が一致した」
と.※17

 弁護士のムバーラク・ムタワ(Mubarak MUtawa’)はこう語った.
「私は遺書を書き,片道航空券を買った.
 なぜなら,全ての選択肢が存在することを(私は知っていたからだ).
 私だけではなかった.
 トルコ人はわれわれよりも前に同じことをしていた」※18

 アブドッラフマーン・カッラズ(‘Abd Al-Rahman Kharraz)は,こう言った.
「船団に参加する前に,私は遺書を書いた・・・
 われわれはお互いに,自己犠牲(の原則を)想起し合った.
 われわれが船に乗る前(でも),それ━勝利か自己犠牲か━がわれわれのアプローチだった」
と.※19

ラーイド・サラーフ:活動家たちが犠牲者の発生を知った時,1人のトルコ人は甘味類を配った

 「イスラエル・イスラム運動」北部支部のヘッド,ラーイド・サラーフ師は(イスラム主義のインターネット・テレビ局)イクラー(Iqra)TVのインタビューに,こう述べた.
 ひとりの活動家の妻が夫の死を聞いた時,彼女はこう言った.
「私は彼について泣きはしない.
 私は彼をパレスチナのための殉教者と見なしている」
と.
 また,船上の活動家たちが,多くの犠牲者の発生を知った時,トルコ人の1人は,サラーフ師にこう言った.
「おめでとう.私の尊師よ.
 アッラーのために自分の魂を投げ出した者たちに祝福を」
と.
 サラーフはまた,こう報告した.
 この時,
「トルコ人の1人は(他の活動家たちに)甘味類,すなわちレーズンを配った」
と.※20

エジプトのムスリム同胞団ブロックの国会議員:自由船団の旅はジハードの旅だった

 船団に参加した,エジプト国会の「ムスリム同胞団」ブロックの副幹事長ムハンマド・バルタージー(Muhammad Beltaji,右写真)は帰国後,「ムスリム同胞団」のウエブサイトに,こう語った.
「起きるかもしれないあらゆることに,誰もが覚悟していた.
 というのも,とりわけ参加者の基本目標が,ガザに着くか,アッラーのために死ぬかーーだったため,すべての選択師が開かれており,われわれは前もっては何も除外できなかったからだ・・・
 40カ国からやって来た参加者の全てにとって,この旅は,あなたがたがどう呼ぶかは別にして,信仰あるいはジハードの旅だった・・・」

 バルタージーは,将来(別の)船団に参加するかどうか尋ねられると,こう言った.
「当然参加する.
 船団に参加した者たちは全て,この経験を繰り返すと確信している.
 なぜなら,ガザに着くという目標はまだ達成されていないからだ・・・
 私の確信では,たとえ参加者が自分の生命を犠牲にする結果になるにしても,今後数日間に,船団が相次いで現われるだろう・・・
 というのも,これは宗教責務であり義務だからだ・・・」※21

船団参加者たち:外国人活動家たちはガザに向かう途中でイスラムに改宗し,「アッラー以外に神なし」と叫んだ

 船団参加者たちの報告だと,船上の一部の外国人活動家たちは,旅の途中,イスラムに改宗した.ラーイド・サラーフがイクラー・テレビのインタビューで語ったところだと,彼は欧州と米国から来た非アラブの一部活動家と友達になった.
 また,幾人かの活動家たちはムスリムの仲間たちと友人になった後,イスラムに改宗した.
 うち,1人は涙を流してサラーフに近づき,
「あなたの勇敢なムスリムの行動を目撃した時,私はイスラムに改宗した」
と語ったという.※22

 多くの新聞とウエブサイトのレポートだと,英国の活動家ピーター・ヴェンナー(Pete Venner)(63)は(トルコの)アンタルヤでマヴィ・マルマラ(Mavi Marmara)号に乗船し,船上で改宗した.
 ヴェンナーには英国で多くのムスリムの友人がいると言われた.
 彼は時に,モスクの金曜礼拝に出かけるムスリムの友人に同伴した.
 また,ヴェンナーはイスタンブールのスルタン・アフメド・モスクを訪れ,そこでイスラムに改宗することを決断したと言われた.※23

 ハマースのウエブサイトによると,トルコ人活動家アユーブ・グカン(Ayub Gukhan)はこう語った.
「外国人の非ムスリムの一部活動家は(イスラエルの兵士たちに)抵抗し,シオニストの攻撃と(それに対する)活動家たちの抵抗を目撃するや,『アッラー以外に神なし』と叫んだ」
と.※24

ハマースのメンバー:殺害された人々は,天国の処女たちとの結婚を祝うだろう

 ハマース所属のパレスチナ立法評議会メンバー,サラーム・サラーマ博士(Dr. Salam Salama)は同組織の隔週紙アル・リサーラの記事で,こう書いた.
「純粋なムスリムのトルコ・オスマン人の血がパレスチナの地と交じり合った.
 これは,封鎖破壊の船団に対する残虐で,野蛮で,強欲なナチの攻撃(があった後),シャヒードと負傷者がわれわれの神聖な,被占領地に着いた時に起きた・・・
 ユダヤ人,この21世紀のナチは,1948年シオニストがパレスチナを盗んだ時に脱線させられた列車を,元の軌道に戻しつつあることを理解していない.
「見なさい.先の月曜日(2010年5月31日),純粋なイスラムの血が,共同体の結婚(殉教を指す),未曾有の国際的祝祭で,アル・イスラーア(夜の旅)とミウラージュ(昇天)(合わせてムハンマドのエルサレムからの昇天を言う)の地(パレスチナの意)と再び交じり合った.
 その結果,20人の花婿が黒い目の(天国の処女)と結婚することができた・・
 彼らは,自分たちの家と家族の元を離れ,祝福された聖地の,弱められた兄弟たちを助けにやってきた,これらの英雄的シャヒードたちは,シオンの息子たちが彼らの(ガザ到達を)食い止めようとしていることを知った.
 しかし,これら英雄的シャヒードたちは,たとえ,彼らの生命が失われようと,前進することを決意した.
 この自己犠牲の精神と熱狂は,彼らの,聖地とその居住者に対する愛の明晰な表現だった」※25

トルコのイスラム主義指導者フェトフッラー・ギュレン(Fethullah Guren):活動家たちはイスラエルの許可を取るべきだった

 最も影響力のあるトルコ人宗教指導者で,米国に滞在しているフェトフッラー・ギュレンは,イスラエルの同意なしに活動したとして,船団を批判した.
 彼は,米国のニューズ局との前例のないインタビューで,船団の参加者は,自分たちの活動許可をイスラエルから得ることを拒否したことによって「権力に挑戦した」と指摘.
 これは前向きの結果に繋がらなかったと語った.
 ギュレンによると,彼の運動に繋がる慈善団体がガザの人々を助けようと望んだ時,彼は,イスラエルと協調するようを主張したという.
 彼はまた,この(支援船団)事件で誰を非難するかについては,国連に委ねるのが最善とも語った.※26

注:
[1]アッザームは(カイロの)アズハル・モスクで学んだパレスチナ人イスラム法学者で,20世紀末のジハード主義運動の主要人物だった.1980年代,ソ連に対するアフガン・ジハードに参加するようアラブ人数百人を激励した最初の人物だった.これら,アフガン・アラブと呼ばれる義勇兵の中にウサマ・ビンラーディンがいた.ビンラーディンが当初大きな影響を受けたのがアッザームだった.1989年のアッザーム暗殺は今も未解決のミステリーのままだ.
[2]www.albian.ps, June 3, 2010.
[3] www.palestine-info.info, June 3, 2010.
[4] Al-Rai (Kuwait), June 3, 2010.
[5] Al-Rai (Kuwait), June 3, 2010.
[6] Al-Rai (Kuwait), June 3, 2010.
[7] www.haberler.com, June 6, 2010.
[8] Vatan (Turkey), June 1, 2010.
[9] Milliyet (Turkey), June 2, 2010.
[10]Sabah(Turkey),June 2, 2010 アリー・エクバル・ヤラトルムスは当初殺害されたと思われていたが,その後,生存していたことがわかった.
[11]バドルの戦い(西暦624年)で,預言者ムハンマドの軍勢は,人数が3倍のメッカの軍勢を破った.ウフドの戦い(西暦625)はしばしば殉教に結びつけて言及される.というのは,コーランの節「アッラーの御為に殺された人たちを決して死んだ者と思ってはならないぞ.彼らは立派に神様のお傍で生きておる,何でも充分に戴いて」(第3章169節)と関連しているからだ.
[12]フダイビイヤ条約(西暦628年)で,預言者ムハンマドは,メッカの敵たちが命じた屈辱の条件を受け入れた.というのも,ムハンマドは自らの軍事力がメッカの敵たちより劣り,この時点で彼らを負かすことはできないと理解していたからだ.
[13]www.albosata.com, June 5, 2010.
[14] Al-Dustour (Jordan), June 3, 2010.
[15] www.albosata.com, June 5, 2010.
[16] 以下を見よ.MEMRI Special Dispatch No. 3002, "Eyewitness Reports about the Flotilla Clash: There Was Resistance and Israeli Soldiers Were Captured; IHH Official: Our Goal Was to
Reach Gaza or Die Trying," June 6, 2010,
http://www.memri.org/report/en/0/0/0/0/0/0/4337.htm .
[17] Al-Rai (Kuwait), June 5, 2010.
[18] Al-Rai (Kuwait), June 5, 2010.
[19] Al-Rai (Kuwait), June 5, 2010.
[20] Iqra (Saudi Arabia), June 4, 2010.
[21] www.ikhwanonline.com, June 3, 2010.
[22] Iqra (Saudi Arabia), June 4, 2010.
[23] Kul Al-Watan (Saudi Arabia), May 31, 2010. Al-Wiam (Saudi Arabia), June 3, 2010.
[24] www.palestine-info.info, June 3, 2010.
[25] Al-Risala (Gaza), June 6, 2010.
[26] Wall Street Journal (U.S.), June 4, 2010.
――――――

 ただしいずれも,死傷者が多数出たという事実の前には,弱い宣伝効果しかもたらさないだろう.


 【質問】
 強襲事件後,新たな支援船団出発の動きはあるのか?

 【回答】
 主なものだけで,以下のごとし.
 急襲という不味い対応をしたことにより,それが大きく報道された結果,雨後の筍のように,模倣する動きが広がっている.

▼ 2010年6月15日(火),人道支援物資搭載とされるイランの貨物船2隻がガザへ.
 1隻はイランの港,もう1隻はイスタンブールから来週出航する計画.
 また,イラン国会議員がエジプト経由で今週後半にガザ入りの予定.(P)

 2010年6月20日(日),レバノンの組織が,女性活動家らの支援船団をガザに送る準備中.
 ヒズボラは「秘密兵器」と船団を称賛.
 レバノンの人気女性歌手が,「服装が不適切」との理由で乗船を拒否されたとのニュースも.(Y,P)

 2010年6月23日(水),イランが国営テレビで「ガザの子供」と名付けた支援船をガザに送ると発表.
 イスラエル政府は計画を中止するよう警告.(Y,P)

 2010年6月25日(金),レバノン政府が同国からの,新しいガザ支援船団の出航を阻止する方向に動いていると,同国紙が報道.
 イランからガザに向けて支援船団を送ることを計画していた団体も,出航中止を発表した.(Y,H)

 2010年6月25日(金),中東和平カルテットが,新たなガザ支援船団の中止を呼びかけ.
 正規の手段があるのに,海から運ぶのは不適切で無責任だと非難した.(Y)▲

 2010年7月11日(日),リビアの支援船が,2千トンの貨物とボランティア15人を乗せ,ガザへ向け航海中.
 「戦いが目的ではない」と主催者.
 しかしバラク国防相は,「不必要な挑発」としてガザ入港を許さない構え.(Y,H,P)

 2010年7月11日(日),イスラエルが国連へリビアの支援船を止めるよう要請.
 イスラエル国連大使が潘基文国連事務総長に直訴した.(Y,P)

 2010年7月12日(月),ガザへ向かうリビアの支援船に対し,海軍は警戒状態.
 アシドド港へ向かうよう連絡を取り,従わなければ強制措置へ.
 支援船を送ったのは,リビアのカダフィ大佐の息子が代表をしている慈善団体.(Y,H,P)

 2010年7月14日(水),ガザへ向かうと宣言していたリビアの支援船は,エジプトに向かうもよう.
 支援船はエジプトの港への入港許可を得たとエジプト高官.
 海軍は昨日,無線で支援船と最初の接触を図った.(Y,H,P)

 2010年7月15日(木),ガザに向かっていたリビアの支援船がエジプトに入港.
 米国務省やEU外交政策部代表,ブレア中東特使などから,ガザ行きに反対する声明が出ていた.
「今回,我々は何もしていない」
と政府高官.(Y,H,P)

 2010年7月23日(金),レバノンの女性とジャーナリストが乗った新船団が,リビアからガザに向け,今日にも出発.
 IDFは阻止する準備をしている.(P,H)

 2010年7月25日(日),レバノンからガザ地区へ向かう2隻の船を阻止するよう,イスラエルがレバノン政府に要請.
「中東地域の緊張を高めるものだ」
と,イスラエルの国連大使が潘基文国連事務総長に書簡で訴えた.(Y,P)

 2010年8月12日(木),海軍学校の卒業式で
「ガザの海上封鎖突破を試みる支援船は,如何なるものでも阻止する」
と,アシュケナジ参謀長官が演説.
 新たな船団が来ても,IDFには阻止する力があると語った.(Y,H,P)

 2010年8月17日(火),英ロンドンなどから3隻の「ビバ・パレスチナ」船団が,9月18日にガザに到来すると英国の元議員が発表.
 ガザ地区を強制収容所と同一視した,英キャメロン首相の発言を称賛した.(P)

 2010年8月20日(金),レバノンから女性による新たなガザ支援船団が日曜に出発予定.
 物資があふれるガザに救援物資を届ける必要は無いが,「象徴的な意味」があると主催団体は主張.
 寄港地のキプロスは反対を表明.(H,P,Y)

2010年8月22日(日),レバノンからの女性によるガザ支援船団の出港を防ぐよう,バラク国防長官が米クリントン国務長官,仏外相らに要請.
 報道によると,船団はキプロスへの寄港を拒否されたため,出港を延期.(Y,H,P)

2010年9月22日(水),リビアからガザへの新たな支援船団が10月に出港するとの発表.
 イギリスからの船団と合流してガザへ向かう計画.(P)▲

 2010年9月27日(月),キプロス島から「ユダヤ人による」ガザ支援船が出航.
 「政府の方針を支持しないユダヤ人もいる」ことを表明するためだと主催者.
 乗船者の中には,自爆テロで娘を亡くしたユダヤ人も.(P,H)

 2010年9月28日(火),IDFが,ユダヤ人によるガザ支援船のガザ入港を,実力で阻止へ.
 ほとんど支援物資は積んでおらず,挑発が目的と見られる.(H,Y)

2010年9月29日(水),ユダヤ人によるガザ支援船がIDFに阻止され,活動家らが違法入国の疑いで逮捕され取り調べを受けたが,その日中に釈放された.
 活動家らはIDFから「暴力」を受けたと主張している.(Y,H,P)

 2010年10月5日(火),4ヶ月前にガザ行き船団を送った団体が,また500人の活動家を乗せた船団を,インドから出航させると発表.
 目的は再びガザの海上封鎖の打破で,12月2日に出発し,27日にガザへ到着予定.(Y,H,P)

 2010年10月22日(金),シリアからのガザ支援船団がエジプトに入港し,支援物資を陸路でガザへ輸送.
 支援物資は137台の中古の救急車など.総額500万ドル(約4億円)に及ぶ.
 船団の代表者は英元国会議員.(Y,H,P)

 以上,「イスラエル・ニュース」より
[情報源略号表]
P=エルサレム・ポスト
H=ハアレツ
7=アルツ7
I=イスラエル・トゥデイ
Y=イディオット・アハロノット


 【質問】
 イスラエルとロシアとの,軍事協力合意について教えてください.

 【回答】
 モスクワ訪問中のイスラエルのバラク国防相は2010.9.6,ロシアのセルジュコフ国防相と会談し,両国の軍事協力に関する枠組み合意文書に調印しました.
 会談後セルジュコフ国防相は,イスラエルから無人偵察機12機を購入したことを紹介し,
「ロシア軍近代化にあたって,イスラエル軍の経験を活用することはとても重要だ」
と述べています.

 合意内容の詳細は不明です.

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)9月13日(月)


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