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◆◆戦史
<◆韓国FAQ
東亜FAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「アジアニュースまとめ」◆(2013/05/06) 【日韓】韓国国会に「東アジアの歴史認識を正す特別委員会」設置へ-米中欧ASEANらと日本に圧力

「楽韓web」◆(2002/11/15) 生きている韓国史教科書(中央日報)

『朝鮮王朝がわかる! 歴代27人の王,500年に及ぶ壮大な人間ドラマ 世界記録遺産『朝鮮王朝実録』をもとに総力解説!』(六反田 豊著,成美堂出版,2013.5)

『朝鮮古代史料研究』(濱田耕策著,吉川弘文館,2012/12/6)


 【質問】
 戦史を含め,韓国の歴史観には何故トンデモ珍説が蔓延り易いのか?

 【回答】
 産経新聞ソウル支局長,黒田勝弘によれば,事実はこうあるべきじゃないという「べき論」的史観で固まっているという.
 したがって,「べき論」によって事実を認めたくないあまり,史観が狂うのではないかと思われる.
 以下,黒田の発言を引用.

井沢元彦 その歴史認識ですが,韓国は清国を単に宗主国として位置付けています.
 どう考えても属国の位置に置かれていた.
 それを解放したのが,いわゆる日清戦争の勝利ではないですか.
 ところが韓国では,そうとは絶対に教えていない.
 その点を韓国人はおかしいとは思っていないのでしょうか?
黒田 専門用語では「服属」ですが,日本の新しい教科書がそういう表現を使ったのはけしからん,直せと対日要求項目の1つになっている.
 まあ,一般の人々は,中国の支配下にあったと思っています.

〔略〕

黒田 日本のおかげで「中国のくびき」から解放されたという事実を認めたくない,あるべき姿じゃないとの「べき論」的歴史観で固まっている.

〔略〕

黒田 韓国は今に至るも,学問的に,圧倒的に日本の影響,日本のものが残ったわけです.
 例えば,辞書,事典のたぐいは殆ど,日本のものからの重訳です.ロシア文学からギリシャ神話から,あらゆる世界の古典もそうです.
 韓国の知的社会は,そういう土台の上に形成された.
 それを,先生方はみんな知っている.
 しかし,それを絶対に教えないですね.

〔略〕

黒田 日本の知的財産を利用して韓国の知識世界が形成されたため,近年,それに対する自己批判というか,自らの手で辞書を作ろう,自分達で原典から直接翻訳しようという動きや声が出てきました.
 その際に,こういう論理になるんです.他者の,しかもあろうことか日本の知的財産を密かに利用して,学生達に教え,自分の業績を打ち立ててきた旧世代はけしからん≠ニね.
 そこには,日本の知的世界のこの社会における貢献については認めたくないし,言及しないという意識構造がありますね.

――――――『SAPIO』 2003/11/26号,p.93

▼ このような状態になってしまう背景として,日本のそれとは大きく異なる,韓国人の歴史観がある模様.
 木村幹・神戸大教授(朝鮮半島地域研究)によれば,韓国では歴史的事実よりも,歴史に関わる「物語」が重視されるのだという.
 そこでは「民族」の価値が強調され,そうした歴史観にそぐわないと「歴史の歪曲」と見なされてしまう,と木村は述べている.

 以下引用.

――――――
 私事で恐縮だが,一昨年からはじまった「第二期日韓歴史共同研究委員会」の研究委員なるものを引き受けてから,もう1年半以上になる.
 委員会には,古代史部会,中世史部会,近現代史部会,そして教科書小グループの四つの下部委員会があり,筆者はそのうちの教科書小グループの研究委員を務めている.

 そもそも日韓間で最初に本格的な国家間プロジェクトとしての歴史共同研究が始まったのは,2002年のことであった.
 第一期の委員会には,筆者も研究協力者(委員の下で研究に従事するもの)として参加させていただいた.
 こうして開始された「第一期日韓歴史共同研究委員会」は,2005年に報告書を提出して終了し,2007年からは第二期の委員会がはじまった.
 筆者も目出度く(?)研究協力者から委員へと昇格した.

 しかし,仕事は厄介であった.
 すぐにわかったのは,日韓の間では,歴史教育の目的が全く異なる,ということだった.

 日本では一般的に,日本史や世界史に関わる「事実」を教えることに重点が置かれている.
 だから,各種の教科書から一定の「物語」を読み取ることは難しいし,また,教育現場でもその読み取りは重視されない.

 しかし,韓国では歴史的事実よりも,歴史に関わる「物語」に重きが置かれている.
 そこでは,「民族」の価値が強調され,近代史でも,如何に韓国人が日本に抵抗したかが,重視される.

 日韓の教科書の違いには,「歴史観」の違いが表れている.
 例えば,韓国人が歴史問題などにおいてよく使う言葉に「歪曲」がある.
 注意すべきは,この言葉が「歪曲された事実」という形だけでなく,「歪曲された歴史観」という形でも使われることだ.
 そこには,「絶対無二の歴史観」が存在し,それ以外の歴史観は,事実の如何に拘わらず「誤りだ」という認識が存在する.

――――――読売新聞 2009年1月19日<日韓共同研究 歴史教育 目的に違い>

韓流誇大妄想史観の一例
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 韓半島の歴史を,3行で教えてください.

 【回答】
 前12世紀に殷王朝王族の箕子が朝鮮の地を治め始め,後に周王朝がこれを侯国に封じたのが,同地の国家の始まりで,その後,三国時代等を経て,936年に高麗が半島統一.
 高麗は13世紀,モンゴル帝国に降伏するなどして衰えると,1392年に李成桂によって滅ぼされ,李成桂は李氏朝鮮を建国.
 1905年に日本の支配下に入った後,1948年に南北それぞれ独立し,1950年の朝鮮戦争を経て,現在に至る.

<戦史略年表>

前12世紀 箕氏朝鮮興る
前194 衛氏朝鮮建国
前108 前漢の武帝,衛氏朝鮮を滅ぼし,楽浪郡など郡県設置
前57 朴赫居世,半島南部に新羅建国
前37 朱蒙,卒本地方(現在の中国の桓仁)に高句麗建国
前18 朱蒙の子,温柞,百済建国
150頃 馬韓・弁韓・辰韓の勢力強くなる
206 後漢,公孫康が帯方郡設置
313 高句麗,楽浪郡を滅ぼす
314 高句麗,帯方郡を亡ぼし,中国の郡県支配終わる.
391 高句麗,広開土王即位
612 高句麗の乙支文徳将軍,薩水で隋軍を撃破(薩水大捷)
645 高句麗,安市城の戦いで唐軍に勝利
660 新羅・唐の連合軍により百済滅亡
662 白村江の戦い
668 高句麗滅亡
676 新羅,三国統一.高句麗の北半分は,唐の領土となる
698 高句麗の将軍出身の大祚栄,震国(後の渤海)建国
713 国号を震国から渤海へと改める
896 赤袴の乱
900 甄萱,後百済を建国し,現在の全羅道と忠清道を支配
901 弓裔,後高句麗を建国し,後三国時代始まる.
918 王建,弓裔を追放し高麗建国
926 契丹により,渤海滅亡
935 新羅の敬順王,高麗に投降し新羅滅亡
936 高麗,後百済を滅ぼし後三国統一
993 契丹の第一次侵攻.高麗国境を襲うが,のちに和約.
1009 康兆の政変:武臣の康兆が王権交代を図るが,後に契丹に殺される
1019 帰州大捷:契丹軍,開京付近まで侵攻するが,帰州で敗退
1107 尹グァン,別武班を率いて女真征伐
1126 李資謙の乱
1135 妙清の西京遷都運動,金富軾の官軍に鎮圧される
1170 武臣政変:文臣中心から武臣政権になり,権力争い起こる
1176 公州(忠南道)鳴鶴所の亡尹・亡所尹が公州占領する民乱起こる
1179 慶大升,都房(私兵集団)政治を始める
1182 全州(全羅南道)民乱.官奴が中心になり州の官吏を襲撃
1198 万積の乱:公私奴隷開放を掲げ,開京で乱を起こそうとするが,失敗
1231 蒙古の使者殺害を機に,蒙古が高麗へ第一次侵入.後,講和.
1259 高麗,蒙古軍に降伏
1270 三別抄(精鋭軍隊)の対蒙抗争.開京遷都に反旗を翻すが失敗
1359 紅巾賊侵入(〜1361)
1364 高麗,倭冦対策で倭人万戸府設置
1376 崔瑩,倭冦征伐
1377 崔茂宣の建議で火薬武器製造(火トゥ都監設置)
1380 李成桂,倭冦討伐
1388 威化島回軍.李成桂反対派の崔瑩を除去.昌王を王位に就ける
1389 対馬倭冦征伐
1392 李成桂,高麗を滅ぼし,李氏朝鮮建国
1398 第一次王子の乱:五男芳遠,世子冊封に不満を抱き反乱
1400 第二次王子の乱:芳遠の実兄,芳幹の乱.芳遠により鎮圧
1419 応永の外冦:倭冦の被害に対し,対馬を攻撃
1433 女真族の侵入を防ぐため,鴨緑江方面に四郡設置
1437 北方防衛のため,豆満江方面に六鎮設置.
1467 李施愛の乱
1506 朴元宗の乱:燕山君廃位追放.晋城大君が中宗に即位
1510 三浦倭乱:三浦で起こった日本人居留民の暴動事件.日本との通交中断
1519 己卯士禍:趙光祖の改革に対する中宗と勲旧勢力の親衛クーデター
1554 倭冦と女真族の侵入に備える軍事機構として,備辺司設置.
1555 乙卯倭変.三浦倭乱による貿易規制に対し,倭人が全羅道の一部を占領
1559 林巨正の乱:民衆を代弁する義賊の乱(〜1562)
1592 壬辰倭乱(文禄の役)
1597 丁酉再乱(慶長の役)
1623 仁祖反正:西人派が北人派を一掃し,仁祖を王に擁立する武力政変
1624 李ファルの乱:仁祖反正後の論功行賞に対する不満
1627 丁卯胡乱:後金(後の清)鴨緑江を越え侵入
1629 平安道・黄海道の流浪民の明火賤集団により漢城攻略
1636 丙子胡乱:清が君臣関係を要求し侵略.世子を人質として清へ送る
1646 林慶業の乱:下層民衆反乱
1654 第一次羅禪(ロシア)征伐:黒龍江へ侵略した羅禪を,清の要請で撃退
1658 第二次羅禪征伐:朝鮮の鳥銃軍,再度ロシアを撃退
1688 京畿道楊州で弥勒信仰者が漢城に侵攻しようとするが失敗
1697 義賊,張吉山の乱
1728 李鱗佐の乱:政界から追放された過激派勢力が政権を奪取しようとする
1811 没落両班,洪景来の乱.農民とともに平安道で起こる
1845 イギリスの軍艦サマラン号が済州島と西海岸を測量
1846 フランス軍,カトリック教弾圧に抗議し忠清道に入り書簡を渡す
1866 平壌洋擾:アメリカの武装商船ゼネラル・シャーマン号焼打ち
1871 辛未洋擾:アメリカの艦隊が江華島に侵入,撃退
1875 日本の軍艦雲揚号江華島へ侵入.武力示威を展開.永宗島占拠
1876 日本と江華島条約(日朝修好条規)締結
1882 壬午軍乱:旧式軍隊への差別待遇に対する不満爆発
1885 巨文島事件.イギリス,巨文島を占領し,ポール・ハミルトンと命名
1897 「大韓帝国」宣言
1905 乙巳条約締結され,日本の保護国となる
1907 朝鮮軍隊解散
1908 義兵,ソウル近郊まて侵攻するが,日本軍の反撃で撤退
1909 安重根,ハルピン駅で伊藤博文射殺.翌年旅順で処刑
1910 韓日合併条約調印
1942 朝鮮での徴兵制実施
1945 8.15光復:日本の降伏により植民地支配から開放
1948 済州島暴動
   大韓民国政府樹立.李承晩大統領就任
   半島北部でも北韓単独政府樹立
1950 米韓相互防衛条約
   朝鮮戦争勃発
1953 板門店で休戦協定調印
1961 クーデターにより朴正熙軍事独裁政権誕生
1965 韓国軍のベトナム派兵開始
1968 1.21事態:北の武装工作隊,ソウル市で交戦
   北朝鮮,米国の情報艦艇プエプロ号を拿捕
   顕忠門国立墓地にて朴大統領暗殺未遂事件
   青瓦台事件:北朝鮮特殊部隊による大統領官邸襲撃未遂
1973 金大中事件:金大中,東京にて拉致され,ソウルで解放
1974 在日朝鮮人青年,文世光による朴大統領狙撃事件.陸夫人死亡
   非武装地帯南側に,北朝鮮側からの地下トンネル発見
1976 板門店蛮行事件:ポプラ下枝伐採をめぐり米将校が殺害
1977 非武装地帯の北側に迷い込んだ米軍ヘリコプター撃墜
1979 10.26事態:金載圭KCIA部長,朴正熙射殺
   全斗煥,軍事クーデターで実権を掌握
1980 光州民主化運動.戒厳軍の介入で鎮圧.多数の死者を出す
1983 大韓航空機撃墜事件;ソ連領内に迷い込んで撃墜さる
   アウンサン廟全斗煥大統領暗殺未遂事件
1986 金浦空港爆弾テロ事件
1987 大韓航空機爆破事件
   6.29宣言:新しい民主憲法公布され,軍事独裁終わる
1991 南・北韓,国連同時加入
   金正日書記,軍最高司令官に就任
1992 IAEA査察団,北朝鮮の寧辺の核施設を査察
1994 金日成主席死去
1996 韓国東岸で北朝鮮潜水艦発見
1997 北朝鮮高官,黄長Y,韓国へ亡命
1998 金大中大統領就任.対北韓包容政策表明
   北朝鮮の潜水艇,韓国東海岸で発見.乗組員全員死亡
   北朝鮮の東部沿岸から「テポドン」ミサイル発射.日本上空を越え三陸沖に落下
1999 韓国西海の北方領海を北朝鮮警備艇が侵犯.韓国海軍と交戦となり退却
2001 金正男(金正日総書記の長男)の日本密入国騒動
2002 西海・延坪(ヨンピョン)島西方海上で,南北海軍の間で交戦
   金正日総書記,日本の小泉総理と平壌で首脳会談,日本人拉致や不審船の行為を認める
   北朝鮮,IAEA査察団を国外退去させ,核施設稼動準備はじめる
2003 北朝鮮が核開発表明,日米中韓などで6カ国協議
2005 北朝鮮,核兵器製造・保有を公式に認める
2006 北朝鮮,テポドン2を含むミサイル7発を発射.日本海に着弾
   北朝鮮,地下核実験を実施
2009 北朝鮮,ミサイル発射.日本上空を通過し太平洋に落下
2010 韓国哨戒艦「天安」撃沈事件
   延坪島砲撃事件.
   金正恩が人民軍大将,党中央軍事委員会副委員長に選任される
2011 金正日死去

 【参考ページ】
http://homepage3.nifty.com/seung/korea/nenpyou.html
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Korea
http://www.wombat.zaq.ne.jp/zenchokyo/Chosensi.html
http://www.vivonet.co.jp/rekisi/d02_korea/korea.html
http://www.d2.dion.ne.jp/~yoo1tae5/korean/koreahistory1.html

【ぐんじさんぎょう】,2012/06/18 20:10
を加筆改修

 檀君は?(笑)

御座候 in mixi,2012年06月06日 22:28

 人類発祥からやらないと(笑

ゆずこせう in mixi,2012年06月06日 22:41

 え? 朝鮮半島でビッグバンが始まるところからじゃないの?(笑

さかきまもる in mixi,2012年06月08日 19:31


 【質問】
 韓国人は単一民族なのですか?

▼ 【回答】
 韓半島(朝鮮半島)では,石器などが発見されていることから,数万年前から人が住んでいたと思われるが,現在の朝鮮民族との直接のつながりは明らかでない.

 朝鮮民族の起源については,西暦元年前後に韓半島に南下してきたグループが,その基礎.

 元々,韓半島には,高句麗人,百済人,伽耶人,新羅人が住んでいて,済州島には済州人が住んでいた.
 考古学的に証明できるのは高句麗から――衛氏朝鮮は証明できていない――で,4世紀頃までに,鴨緑江付近で興った高句麗が南下して,楽浪郡(漢の領地)を滅ぼし,韓半島は北部の高句麗,南部の新羅,百済の三国が対立する三国時代に入った.
(更に南には,日本と深い関係があったとされる任那を含む加羅連合があったが,後に解体され,新羅に統合された)

 この百済・高句麗等は,満族の系統に分類されるツングース系他民族国家だったとされている.
 高句麗・百済の支配層は扶余系とみられ,新羅とは別系統の言語を話した.
 一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされており,このことから言語をもって民族の基準とすると,朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる.
 しかしながら,新羅自身も『三国史記』によると,4代目の王が倭国北東から渡来した王であったり,『三国志東夷伝』によると馬韓(百済の前身)より辰韓(新羅の前身)へ代々王が派遣されていたという記述があるなど,朝鮮民族としての意識の形成が,いつ頃から生じたものかは不明瞭.

 この新羅は『梁書』新羅伝によれば,雑多な系統の移民から成る多民族国家だった模様.
 6世紀中頃に加羅諸国を滅ぼして吸収し,次いで唐と同盟を組んで,百済や高句麗を滅ぼした後,唐を追い出して,まんまと韓半島全域を手に入れる.
 これにより新羅人は,半島全域に分布を広げた.


 しかし5〜6世紀ごろから,今の韓国・朝鮮人である,高麗人(コリアン)が進入してきて,彼らが半島の新たな支配者となった.
 だから,彼らは韓半島に後からやってきた新参者で,韓半島の原住民ではない.
 高句麗人,百済人,伽耶人,新羅人は,それぞれ支那,満州,日本に亡命したり,衰退したり,滅ぼされたりしている.
 済州人は高麗人によって滅ぼされた.

 しかし9世紀末になると,新羅の国力は衰える.
 すると,百済・高句麗の再興を図る勢力が出てきて,後百済・後高句麗・新羅の3国が鼎立,後三国時代となる.
 このうち後高句麗から918年,高麗が興る.
 高句麗後期も「高麗」を正式な国号としており,建国した王建は後高句麗の将軍だったので,区別をつけるために王氏高麗とも呼ばれる.
 そんなわけで高麗も高句麗継承を主張.
 同じく高句麗継承を主張した渤海の亡命者を積極的に受け入れ,渤海が滅びると渤海の旧領領有を計画したり,『三国史記』や『三国遺事』を編纂したりしたことを重視すると,朝鮮民族としての民族意識の萌芽は,高麗の時期に形成された可能性が高い.

 その後,モンゴル人の支配時期には混血化が進み,その前後に中国人とも混血が進み,ほぼ現在の朝鮮民族と同様の民族が成立する.


 民族としての純血がどうこう言う主張は,遺伝子検証すれば科学的に与太話だと証明できちゃうよね,現代では.
 もし遺伝子的に嫌いな民族の血が混じってると証明されたら,自決でもするのかね?,過激なレイシストとかは.

 なお,「民族」は遺伝子学的にではなく,民族意識をもって定義されるのが通説的.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97


 【質問】
 檀君(タングン)神話は真実なのか?

 【回答】
 神話はしょせん神話.
 実在説は,イデオロギー過剰のトンデモ説に過ぎない.
 出土品には明らかに後世のものが含まれていたり,年代測定に疑問があったり,あまりにもご都合主義な「人骨発見」だったりしている.

 以下引用. 

 雄山閣といえば,歴史学書出版の老舗である.
 そこから発行されているトンデモ本のタイトルは「朝鮮民族と国家の源流――神話と考古学」.
 「考古学選書」シリーズの一冊となれば,あくまで学問的なものと思うところだが,学術用語の並んだ内容をよく検分すると,これが実にキテルというかイッちゃってしまっているのだ.

 1993年1月から2月にかけて,偉大なる首領の指導のもと,平壌近郊江東(カンドン)郡文興(ムンフン)里大朴(テバク)山の陵墓から2体の遺体が発見され,科学的調査の結果,紀元前3010年のものであると判明した.
 これは,朝鮮建国の祖,檀君王が実在したことを証明するものであり,遺骨は王とその妃のものと結論された.
 いや,そもそもこの調査の目的こそ,檀君実在の証明であり,その陵墓の発見であった.

 しかし,この陵墓の形状は,紀元前一世紀に建国された高句麗の様式とそっくりであり,出土品には,中国でさえも紀元前1000年以後にようやく使われるようになった青銅器(帯金)までが含まれていた.
 ちょっと待てよ? 紀元前3000年と前1000年じゃ,2千年の違いがある.
 ここでどうやら,この「発見」の歴史的「意味」がうっすら見えてくる.
 すなわち,わが古朝鮮帝国は,東亜の中心を僭称する中国より千年も古い歴史的大文明だったのだ.

 ところがである.
 陵墓には,科学的年代計測の結果以外の,時代を示す確たる証拠は残されていないのだ.
 では,なぜ檀君の陵墓だと分かったのか? 実は1936年には,檀君を敬う民間の有志によって,こここそが檀君だとする改修工事が行われ,その記念碑は一部破損しながらも現存していたのだ.
 ところで,肝心の遺跡の詳細は,今世紀初頭の文献によれば,日本人が盗掘,「古仙人」が掻かれていた壁画が消し去られたりしたため,以後は全く不明なままになったらしい.
 この「古仙人」が檀君であることは想像に難くない.(「朝鮮民族と国家の源流」149ページ)
 証拠はあった.日帝が全部ぶちこわしたのだ.
 無敵の論理である.

 最初の陵墓改修が行われたのは,日本ではファナティックな愛国思想のもと,かつては素朴な信仰の対象だった,いわゆる神武天皇陵を,荘厳なる姿へと改修させる作業がちょうど完了したばかりの時代のことである.

 ただ,1993年に発掘された檀君とその妃の遺骨には奇妙な点があった.
 同様の年代と思しき周辺の遺跡には,この2体ほどに完璧な遺骨は過去発見されたことがなかったのである.
 そこで,檀君遺骨発見ののち,1993年から1994年にかけての平壌近郊では,大規模な調査・再調査が行われることになった.
 結果は,ああら不思議.とうに詳しい調査がなされた地域から,「檀君と同時代」と科学的に証明されることになるはずの遺骨ならびに遺品の大量出土であった.
 かくし